
週末に日本列島に向かうダブル台風の予想の中で、「藤原の効果」の説明をしていました。二つの台風が互いに引き寄せ合い、まるでダンスをするように、予測しにくい進路を描くそうです。
「藤原の効果」という言葉から、どこかで聞いたような……。かつて原子力のプロジェクトに携わっていた頃、竜巻の強度を測る「藤田スケール」と向き合うことがありました。竜巻の破壊力を被害状況から逆算し、段階的に評価するこの指標は、凄まじい自然の猛威を客観的な数値へと落とし込み、「備えの範囲」を確定させるための論理でした。
原子力施設は竜巻の脅威に対して、安全である証明をするだけでなく、竜巻による飛来物からも安全でなければなりません。自然のあまりの猛威を前に、せめて「どこまでが脅威で、どこからが守れる範囲なのか」を数値で明確にする――。技術者として、自然を畏れつつも、理論で対峙しようとしたあの日々の緊張感は、今も私の中に深く刻まれています。
対照的に、今の製造現場には「藤原の効果」のような混沌が渦巻いています。
現場に長年蓄積された「経験則」と、近年の技術革新や厳格化する遵法規定、さらには変化を嫌う組織の慣性が複雑に干渉し合い、生産の進路を迷走させています。
藤原つながりで歴史を振り返れば、平安の世に権勢を誇った藤原氏は、家柄の特権に安住することなく、大陸由来の律令という合理的なシステムを使いこなすことで、旧来の氏族を凌駕していきました。一方で、古いやり方に固執した勢力は、その「のんびりとした均衡」の中で、次第に時代の主役の座を譲っていったのです。その本質は、旧体制が合理的な新しい仕組みを取り込めなかったことにありました。
現代の製造現場においても、現場の非効率を指摘し、論理的な改善を訴える存在に対し、「そんな理屈は現場では通じない」と撥ねつける旧勢力が存在します。しかし、その結果招くのは、予測不能な生産遅延や重大な欠陥という「渦」の暴走です。
現場の経験は貴重です。しかし、そこにエンジニアリングとしての「論理」が欠落していれば、それはただの「過去の習慣の反復」に過ぎません。
今、求められているのは、直感や感情で現場を動かすことではありません。藤田博士が竜巻の破壊力を言語化したように、現場で起きている非効率を冷徹に数値化し、どの要因がどの程度の損失を生んでいるかを可視化することです。混沌を飼い慣らす力とは、まさにこの「言語化・論理化」の作業に他ならないと言えます。
経営者である皆様に問いたい。あなたの工場の現場は、今、「藤原の効果」のように複雑に干渉し合い、迷走していないでしょうか。
感覚で渦の中に身を投じるのではなく、論理という羅針盤を持って、混沌を制御可能な経営へと変換していく。それこそが、これからの激動の時代を生き残る一つの建築的アプローチではないでしょうか。
「経験」という名のブラックボックスを解体せよ
藤原氏が平安の世で権勢を振るったのは、伝統にあぐらをかかず、異質な知をシステムに取り込んだからです。対して、今の製造現場には「昔からのやり方」「経験則」という名の、停滞を呼ぶ勢力が潜んでいないでしょうか。
理論や数値を軽視し、現場の混沌を「なんとなく」で回そうとする姿勢は、いずれ致命的なリスクを招きます。藤田哲也博士が竜巻の破壊力を「藤田スケール」として言語化したように、我々もまた、現場の非効率や不具合を客観的な指標で測定し、制御可能なものに変えていく責任があります。
「藤原の効果」のように現場の要因が複雑に絡み合う今だからこそ、直感ではなく、エンジニアリングとしての論理が必要なのだと思います。